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2025年、今年の干支はヘビ。 ヘビで思い出したのは、倉敷出身の画家、三橋健の「ナワ蛇と巫女と磐境」という作品。 三橋は大正元(1912)年生まれ。画家を志し東京美術学校へ進学。在学中に独立美術協会展に入選する。いわゆる「官展」ではなく、在野の「独立展」を選んだあたりに三橋の反骨精神の一面をうかがうことができる。 のち、父の病没のために帰郷。倉敷に帰った三島は大原農業研究所や倉敷紡績に勤務、茶屋町中学校、倉敷天城高校などの美術教師を務め、退職後は制作活動に専念する。 一方、幼なじみの大原總一郎とともに、大原美術館の戦後の作品収集にも尽力した。 もともと民俗学的なものには興味があったという三橋は、戦後「民俗行事」をテーマにした作品を発表する。この「ナワ蛇と巫女と磐境」もそのひとつ。 柳生尚志『岡山画人伝』(山陽新聞出版センター 2007年)によれば、この作品は阿哲郡哲西町日長谷の綱之牛王神社の蛇形祭に取材したとある。 蛇形祭は鎌倉時代から続いている祭りで、毎年12月の第一日曜日にこの神社一帯で行われるとのこと。 『岡山の祭りと行事』下巻(山陽新聞社 1984年)には次のように祭りの様子を紹介している。 祭りの当日は、朝から氏子が当屋に集まり、男は新藁約120把で長さ6メートル、重さ38キログラムの大蛇を作り、女は食事などを準備する。大蛇が出来上がると、神社へ運び、境内に斜めに支えた棒杭に巻き付け、首には3本の御幣を立てておく。準備が整うと神主によって神事を行い、大蛇の口に神酒を注ぎ、神主と氏子も頂いて当屋に帰る。当屋では氏子全員が集まり、賑やかに会食して祭りは終わる。 「高梁川流域連盟」のページには祭りの由来も記されている。 動画もあったので、こちらも紹介しておく。 2025年1月6日現在、「ナワ蛇と巫女と磐境」は岡山県立美術館で展示中。 あと、演芸好きとしてはやはりこれは外せない。 「東京コミックショウ」 3色の蛇を操る、息のあった素晴らしい夫婦芸。「スローダウン」や、お腹のすいたヘビに腋毛を食べさせるところなど懐かしい。 これはぜひ見て欲しい! 動画貼ってます↓ #
by gosyado
| 2025-01-06 15:39
第23回清明研究会(令和元年12月21日)において報告されたネガからこの話がはじまる。 そこで見つかったのが、鴨方町六条院西にある円珠院に所蔵される、人魚のミイラだった。 これが岡山県内ではじめての人魚のミイラ発見となり、マスコミ等で紹介される。 のち、倉敷芸術科学大学との合同調査、約2万人が訪れたという倉敷市立自然史博物館で開催された「倉敷動物妖怪展 at 自然史博物館」(令和4年7月16日-9月25日)での展示へとつながっていく。 円珠院の人魚のミイラについては、調査により現在までに以下のことがわかっている。 ・毛髪には哺乳類のキューティクルが確認 ・上・下半身とも内臓および骨格は確認できず、中に詰めものあり。 ・下半身は魚だが、腕・肩・首などは下半身とは異なる形状の鱗が見受けられる。 ・首と背びれには金属製の針が刺さっている。 ・表皮には防腐処理の可能性 ・制作年代は江戸期までさかのぼらない可能性あり また、人魚のミイラに付された書付については ・明治36年に書かれたもの ・表記が「ミイラ」ではなく「干物」 ・元文年間に土州(高知県)沖にて捕獲 などの記載があるとのこと。 いろいろな視点から推測するに、制作は文化文政期か明治時代ではないかと想像される。 円珠院の人魚のミイラ発見ののち、2体の人魚の情報を得、現在岡山県内にはあわせて3体の人魚が確認されている。 そのうち1体が、金光町竹森氏蔵の人魚。 全長約52cm、高さ約14cm、幅約24cmで、腹ばいの形をとり、かなり経年劣化がすすんでいる。 こちらにも書付が付されており、 ・昭和30年10月15日の年記 ・「人魚の木乃伊」の表記 ・今を去ること120、30年前、筑紫の沖合にて捕獲 などとある。こちらの人魚のミイラは大正から昭和にかけて、各地の学校などで公開されていたという。(展示先等を記した覚えが残されている) ちなみに日本に残る人魚のミイラは、現在確認しうる限りで15体、そのうち寺社に8体あるとのこと。 寺社に所蔵はされているが、あくまで宝物としての保管であって、決してご神体ではない。 世界各地にある人魚の伝説。岡山県内(玉島・金光・津山)にも残されている。 人々にとって人魚は興味をひく存在ではあるが、信仰の対象ではない。 いわゆる「珍重」するという存在であった。 以上、あくまで覚え書き。 参考程度に。 きちんとしたものは、おそらく『佐藤清明資料保存会会報』等に発表されると思われる。 #
by gosyado
| 2022-11-19 23:04
明けましておめでとうございます。 干支は寅。 言わずもがな12年に一度しか回ってこない。 この機会に「トラ」について少しばかり書いておきたい。 南方熊楠『十二支考』や諸橋轍次『十二支物語』があれば、そこからいろいろと紹介するのだが、あいにく手元にない。 どうするかと思案していた折、何気なく手にした1冊に興味深いことが書いてあったので、紹介しておきたい。 曽景来『台湾宗教と迷信陋習』(台湾宗教研究会 昭和14年) その中に「台湾習俗と虎の信仰」という章があり、台湾と虎の関わりについて記されている。 もともと台湾には虎はいなく、本土からの伝聞や小説などから、人びとはまだ見ぬ動物のイメージを膨らませていったと。 それは実際の虎の生態とは異なり、たとえば人を見れば必ず襲いかかり喰い殺してしまうなど、かなり誇張されたものであったという。 虎に関する迷信も多く、さまざま紹介されているが、ここでは著者が「珍奇であるが、迷信の甚しいもの」として取り上げている「謝白虎」を。 人は病気になると、その原因を神に伺うべく童乩(タンキー:霊媒師)に依頼することがある。 童乩から、それは白虎神に祟られたのだと告げられると、まず竹と紙で作った白虎に金銀の紙、白飯、豚肉、卵、スルメ、魚などをザルもしくは竹籠に入れて、なるべく川下の方へ持っていき、白虎を祀り、焼香をおこなう。 その後、豚肉を白虎の口に入れて「食豚肉笑吶々、食去遠々」を念じ、金銀の紙と一緒に焼却する。 最後に石をその灰の上にのせ「提石頭、圧路頭」を唱え、急ぎ家路につく。 これ、邪悪な白虎神が遠方に謝絶され、再び戻ってこないと。しかるに間もなく病は全快する。 著者はこう結ぶ。 台湾迷信に現われたる虎は動物崇拝と見做し得る点もあるが、元々虎そのものを崇拝したのではなく、観念的に抽象的に妖怪化し精霊化された虎を以て信仰の対象としたのである。(略)而して虎の凶暴性、獰猛性を狙ったところに虎崇拝の迷信たる重点が存していることは云うまでもない。 ちょっと別に書きたかったことがあったのだが、書けなくなった。 次回に。 #
by gosyado
| 2022-02-01 19:30
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by gosyado
| 2022-01-28 21:21
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by gosyado
| 2022-01-21 21:10
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