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アートスペース油亀で開催中の企画展、「珈琲のための器展―うつわの数だけ、味がある。」 (〜3月1日まで open 11:00 close 19:00 入場無料 ※20日(木)は展示替えのため休廊) 先日、朝日新聞でその様子が記事になりました。(2月13日付) 当店の名前もチラッと登場していました。 ところで、コーヒーといって思い出したのは寺田寅彦の「珈琲哲学序説」。 子供のころに初めて飲んだコーヒー、その印象をこう書いています。 凡てのエキゾティックなものに憧憬をもって居た子供心に、此の南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡って来た一脈の薫風のように感ぜられたもののようである。 ドイツ留学時代は街角のカフェなどでよくコーヒーを飲んでいたという。 そして日本に帰ってきてからは日曜日に銀座の風月堂へ出かけたり、喫茶店などでコーヒーを飲んでいたとのこと。 またこんな一節も。 コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出す為には矢張り適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。 コーヒーを味わうためには雰囲気が大切ということか。音楽的な表現がいかにも寅彦っぽい。 寺田は研究に行き詰まった時にコーヒーを飲む。そうすると「コーヒー茶碗の縁が正に唇と相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思い付くことが屡々あるようである」と云う。 そしてこう語る。 芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から云えば自分に取ってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分の為の哲学であり宗教であり芸術であると云っていいかも知れない。 なるほど、仕事の合間に美味しいコーヒーは必要か。 この一篇はこんな文で締められる。 珈琲漫筆がついつい珈琲哲学序説のようなものになってしまった。此れも今し方飲んだ一杯の珈琲の酔の効果であるかも知れない。 昭和8年に発表されたこの文章。当時こんなことを考えていたのかと想像すると楽しいです。 どこか時代の自由な雰囲気が感じられる、ステキな一篇かと。 今回は昭和文学全集『寺田寅彦集』(角川書店)より引用しました。この巻、他にも寺田の小説や随筆が多数収録されていて、魅力にあふれたかなりお得な1冊かと。 コーヒーを片手にページを繰ってみては。
by gosyado
| 2015-02-16 19:36
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